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ささやかなこと

アテンションを待ち続ける人たち

LINEの通知

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これらを待ち続ける寂しい人もいるんだ。

通知ゼロに落ち込み、スマホを閉じてはしばらく経ったらまた通知の確認。

案の定赤い通知マークはない。

 

誰でもいいんだ。なんでもいいから。

あなたからのいいねをハートを承認を。

 

そういう人間もいるのだ。

そうしたくなくてもそうしてしまう面倒くさい人間もいるのだ。

孤独なのに上手く他人に擦り寄れない不器用な人間が。

子どもの私はどこへいったのか

前にもちらっと書いたことがあったかもしれない。

私は幼い頃から、大人になることを寂しいものだと思っていた。

大人になるということは、子どもの自分を捨ててしまうことだと思っていたからだ。

自分の意思とは関係なく、子どもは必ず大人になる。

それを必要以上に意識していたからこそ、自分が得体のしれない自分ではない何かに変化するのが恐ろしかったのだ。

 

で、今の私はもう大人だ。

まだ未成年ではあるが、子どもか大人かと言われたら間違いなく後者であろう。

今大人になってみて、幼い頃の自分の恐れを考えてみると浅はかだったなあと思う。

 

確かに、子どもの自分と大人の自分は違う人間だ。おままごとばかりしていた子どもはもうここにはいないし、会社や学校でわめき散らしたり、手を出して叱られる子どももいない。

でもそれは子どもから大人に成長する過程で変わった、いわば発達的側面から見た違いであり、表面的なものであると私は考える。

おままごとをしなくなろうが、沈黙できるようになろうが、大人のあなたは子どものあなたで、大人の私は子どもの私のままなのである。

子どもの自分は今も、これからも自分の中に居続ける。

毎秒(もしくは数え切れないほど小さな単位の時間で)私たちが"その瞬間の自分"という皮を剥いで別れをつげているとすれば、今まですごした瞬間の数だけの自分が今も私たちの中に居続けている。

 

子どもの自分はどこへいったのか。

その問いへの私の答えは"大人の自分の中"だ。

ちっとも寂しくなんかないんだ。

夜はほんとうに憂鬱になる。

寝なきゃいけないとわかっているが無理やり体を目覚めさせてしまう。

ブルーライトで目はもうボロボロ。

ベッドに根をはっている。

休みがくると何もせず横になって映画をみて1日を終えてしまう。

もちろんパジャマのまんま。

この堕落した生活よ。

人間として最低限のこともできない。

楽しいのは映画をみてるとき、音楽をきくとき、ネットショッピングでポチるときだけ。

LINEの通知は静寂、つぶやきも他人のいいねを求めて行う。

ああどうして私は他人との境界線を薄めてしまうのだろう。

意識高くなんて到底私には無理。

このまま体がアイスクリームみたいに溶けてベッドの奥まで染み込んで床にバニラの栄養を与え花を咲かせればいいのに。

 

好きなサウンドトラック

お題「好きなサウンドトラック」

 

好きなサウンドトラックはアメリの。

三拍子に吸い込まれる不思議な音楽。

アメリの心の中の起伏が音にあらわれていて好きです。

自己を見つめていく

 

お久しぶりです。

しばらくいろいろと考えることがあり滞っていました。

 

最近私悩んでいるんです。

どうしていつも寂しいのか、と。

 

こう書くとまるで心に大きな傷を負ってるようですがそういうことではなく、どうして何をしててもどこか冷めてる自分がいるのか、ということです。

 

興奮したり楽しんだり動的な感情はもちろんあります。でもそういう感情のストッパーが他の人より弱いんですよね。だから興奮しすぎてしまう。その時はまあ興奮の最中ですからそんなに苦しさは感じないのですが、あとにやってくる1人の内省の時間で苦しくなるんですよね。

明るく振る舞った分、そのしわ寄せとしてどっと疲れが押し寄せるんですよ。

 

今の所は自律神経の問題、それからアダルトチルドレンの問題が原因かな、と。

 

ああ見返しますとひどい文章ですね…。

今日のところはもう寝ます。

お休みなさい。

 

プレゼントしたい本

初めてお題スロットを使ってみようと思います。

今週のお題は「プレゼントしたい本」らしいです。

昔から絵本や本は同世代の人よりたくさん読んできましたし、大好きな本は山ほどありますが、今回はその中でも厳選した2冊をご紹介したいと思います。

 

一つ目は長田弘さんの『深呼吸の必要』。

この本は小5の時、父から譲り受けたもので少し古ぼけた紙とインクの匂いがなんだかお気に入りです。黄みがかった紙に緑のインクの素敵な詩集で長田さんの言葉がぎゅっと詰まっています。

この本の中で私が好きな作品は「あのときかもしれない」です。

今でこそだいぶマシになりましたが、幼いときは大人になるのが怖くてすごく寂しく感じていたんです。(不思議な子でしょう?)

そんな思いもきっと私しか感じてないと思ってましたからこの本を読んだ時なんだかとても気持ちが揺さぶられたんです。ノスタルジーから泣いたのか寂しさから泣いたのかよくわかりませんが、すごくすごく当時の私には印象的な作品でした。衝撃の一読以来、悲しいことがあった時、泣きたい時、寝る前に内的なものを見つめ直したい時に読んでいます。

きっと一生読み続けると思います。

 

 

二つ目は重松清さんの『きみの友だち』。

この本はつい2ヶ月ほど前に大学の本屋さんで久しぶりに重松さんの作品が読みたいと思い何気なく手に取ったものです。

読み始めは章の構成に若干戸惑いましたが最後は言葉にできないほどの感動を受けて号泣でした。

中学受験の時は参考書や娯楽でよく重松さんの作品を読んでいたんですけれど、少し成長してからブランクを経て読むと味わい深くなるものですね。

深呼吸の必要』以来の衝撃でした。

 

以上私が「プレゼントしたい本」でした。

短所

短所ってありますよね。

私は自分の敏感すぎる性格に困っています。

傷つきやすく、それゆえ人に心をなかなか開けないんです。

生きづらいなと感じることもしばしば。

正直前まで嫌いでした、そういう自分。

 

でもある時気付いたんです。

それは長所なんだなって。

 

私は傷つきやすいんじゃなくて、感情の振れ幅が大きいだけなんだ、と。

悲しいことがあると人一倍悲しいし引きずりますけど、それと同じように幸せなことがあると人一倍幸せを感じることができるんです。

例えばですよ、私は季節が変わるだけでとっても幸せになれます。春になって街の色が変わり、匂いが変わり、お洋服も変わる。そんなことでもとっても幸せなんです。

 

私のままでいいのかもしれません。